【北野映画ソナチネ】北野監督の描く暴力
ソナチネの音楽が好きで
北野監督の作品は全部が好きなわけじゃないし
全部みたわけでもないが
なんか共感してしまう自分がいる。
北野監督の「哀しい気分でジョーク」とか結構ささる。
北野監督の描く暴力はすごく淡々としていて
それが日常ともとれるヤク●な世界の話が多い
人は与えられた環境に適応して生きていく
その中では外からみた軽々しい上から批判は何の効力もないし
彼らの世界になんら変化はもたらさない。
けど映画ソナチネの背景に流れるタイトル音楽のように
繰り返される旋律と同じで表現を少し変えながらも同じ中で
ロープする。
抜け出せないのだ。
別に与えられた環境を嘆くというのはまだ余裕がある人のなせる業で
淡々と生きるしかない 順応しえいくしかないって生き方もある。
暴力はそういった意味では絶望的な環境下での
最後の快楽に近いのかもしれない。
道徳観や神や平和な場所で正義を振りかざす人にはわからない最後に行きつく快楽。
たぶん背徳感が快楽を呼び起こすのかもしれない。
でも北野監督は暴力を推奨しているわけではなく
「痛いだけだし嫌い」とインタビューで言ってたので
どこにも行き場のない人の思いの最後の表現なのかもしれない。
を読んだ方なら大審問官を思い出すかも・・
乾いた描き方の暴力のリアルさにより心の琴が反応するのかも
多くの人が暴力はいけないとわかっていながら
北野武の描く暴力には同情というか共感というか目をつぶってしまうのだ。
みんな少なからず理不尽さを経験しそれと戦って生きているからかもしれない。
それでも、思い描く「幸せ」があるならその人は幸せに向かって行動していくべきで
悲しみも辛さもきちんと自覚ある人の方が強い。
喜怒哀楽あって人は当たり前でどれを誤魔化してもダメなんだと思う。
誤魔化すと最後に行きつくのは暴力という冷めた快楽なのかもしれない。